力強く やさしく生きること
小さき芽の力強いこと…
太陽の光の力を借りて たくましく伸びているのだね
太陽の光の力を借りて たくましく伸びているのだね
『…大事な事は ひとつ
あなたも分かってる
でしょう?
古い傷を今
癒すことなどでは
ないこと…
今を生きること
力強く生きること
やさしく やさしく
やさしく生きること…』
reeka's song「海のように」より
この記事へのコメント
まぁ~ 元気でるわぁ いいねぇ~
ぱくっときます。 うそうそ!
ぱくっときます。 うそうそ!
Posted by すーなー at 2006年11月03日 14:57
>すーなーさん
「ぱくっときます」ってどういう意味ですか〜
分からない私って、なんか時代遅れとかなの〜?なぁに〜?どういう意味〜
「ぱくっときます」ってどういう意味ですか〜
分からない私って、なんか時代遅れとかなの〜?なぁに〜?どういう意味〜
Posted by reeka at 2006年11月03日 15:34
あばっ! わからんばぁ~
「ぱくる」=盗む つー事ですよ。
reekaの書く詩は なんだかわからんけどいつもいいなぁって思うよ
みゃぁくぴとぅにも書いてくれない?きがむいたらでいいからさぁ
「ぱくる」=盗む つー事ですよ。
reekaの書く詩は なんだかわからんけどいつもいいなぁって思うよ
みゃぁくぴとぅにも書いてくれない?きがむいたらでいいからさぁ
Posted by すーなー at 2006年11月03日 15:41
>すーなーさん
ああ…パクるってことね… … …ダメじゃん!笑
reekaの詩を「いいなぁ」って思ってくれて嬉しいっす! ありがとね〜
みゃぁくぴとうに詩をね〜。
詩をガンガン書けるなら、「いいよ〜」って即OKだけど…私、かなり詩を書くのに苦労するタイプ…なの〜(曲もだけど…)
適当には書けないしね〜人にあげるくらいの自信ないな〜笑
ああ…パクるってことね… … …ダメじゃん!笑
reekaの詩を「いいなぁ」って思ってくれて嬉しいっす! ありがとね〜
みゃぁくぴとうに詩をね〜。
詩をガンガン書けるなら、「いいよ〜」って即OKだけど…私、かなり詩を書くのに苦労するタイプ…なの〜(曲もだけど…)
適当には書けないしね〜人にあげるくらいの自信ないな〜笑
Posted by reeka at 2006年11月03日 16:21
まっそういうことですよね。自分で頑張ります。
しかしいいよなぁその才能は。
隣の芝生は青じゃないね ゴールドに輝いております。
しかしいいよなぁその才能は。
隣の芝生は青じゃないね ゴールドに輝いております。
Posted by すーなー at 2006年11月03日 18:06
才能なんて…あってないようなもの…自分じゃ全然、あるとは思わないしね。
でも、いいな〜って思うって事は、気持ちが共感できる…って事ですよね。
コレは友情のような、恋愛のような、そんなもの…いいな〜って思える事は心がヒタヒタになってユルユルになって、チムわさわさ〜できるってこと…
…なんだか意味分からんかな〜笑
でも、いいな〜って思うって事は、気持ちが共感できる…って事ですよね。
コレは友情のような、恋愛のような、そんなもの…いいな〜って思える事は心がヒタヒタになってユルユルになって、チムわさわさ〜できるってこと…
…なんだか意味分からんかな〜笑
Posted by reeka at 2006年11月03日 18:23
ほんと 意味わからん
だけど理屈ではないよ。まっそんな感じでこれかれもファンの期待を裏切らずに頑張ってけろっ。
(かなりプレッシャーだろー)
家のURLはっつけときますね。更新してないけど・・・
だけど理屈ではないよ。まっそんな感じでこれかれもファンの期待を裏切らずに頑張ってけろっ。
(かなりプレッシャーだろー)
家のURLはっつけときますね。更新してないけど・・・
Posted by すーなー at 2006年11月03日 18:28
>すーなーさん
はい!そう言ってくれる人のために、そして自分のために歌い続けるのだ〜!
ありがとうね〜!! 更新してないblog…覗いてみるね〜笑
はい!そう言ってくれる人のために、そして自分のために歌い続けるのだ〜!
ありがとうね〜!! 更新してないblog…覗いてみるね〜笑
Posted by reeka at 2006年11月03日 18:32
はじめまして、こんばんわ。
一つだけ聞いてもいいですか?
「ウタ」というのがいいですね。でも、
「ウタ」はどうして「歌」でもなく「唄」でもなく「詩」でもなく「うた」でもなく、
「ウタ」だったのですか?
こんな「ウタ」があってもいいですか?
こんな「ウタ」でした。
一つだけ聞いてもいいですか?
「ウタ」というのがいいですね。でも、
「ウタ」はどうして「歌」でもなく「唄」でもなく「詩」でもなく「うた」でもなく、
「ウタ」だったのですか?
こんな「ウタ」があってもいいですか?
こんな「ウタ」でした。
Posted by toroom at 2006年11月03日 23:10
そうですね!!一歩、一歩が素敵な一歩に感じて、そして生きる事の素晴らしさを…
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1387/walkingtour.html
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1387/walkingtour.html
Posted by ぶる★ at 2006年11月04日 02:06
>toroomさん
コメント有り難うございます。 はじめまして!
昼間に、足跡からtoroomさんのblogにおじゃましてみました…なんだか、難しいような、でも大切な話から、多岐に渡る内容に興味深く、いろいろリンク先へもジャンプしたりして見させていただきました…
ご質問の「ウタ」についてですが…この文字に、確かにコダワリを持って書く時はありますよね。
同じutaにしても、文字によって与える印象が違うので、コチラ側の想うutaのイメージをどう表すか…って考えた時に、こだわって書いたりしているような気がします…でも無意識っていうか、感覚っていうか、理屈で考えてはいないと思います…
このblogのタイトルのsubで書いてある「ウタ」も、そんな気持ちで書いたところもあるかも知れません…
歌う…唄う…詠う…うたう…いろいろ、ありますが…私は、いわゆる「ボーカリスト」ではないので、ウタを書くこと、ウタを語ること…がライブであり、そういう表現にしかならないのかも…と思います…「ウタ」がすべてをまぁるく、包んでる表現のような…
なんだか、分かりにくいでしょうか…
コメント有り難うございます。 はじめまして!
昼間に、足跡からtoroomさんのblogにおじゃましてみました…なんだか、難しいような、でも大切な話から、多岐に渡る内容に興味深く、いろいろリンク先へもジャンプしたりして見させていただきました…
ご質問の「ウタ」についてですが…この文字に、確かにコダワリを持って書く時はありますよね。
同じutaにしても、文字によって与える印象が違うので、コチラ側の想うutaのイメージをどう表すか…って考えた時に、こだわって書いたりしているような気がします…でも無意識っていうか、感覚っていうか、理屈で考えてはいないと思います…
このblogのタイトルのsubで書いてある「ウタ」も、そんな気持ちで書いたところもあるかも知れません…
歌う…唄う…詠う…うたう…いろいろ、ありますが…私は、いわゆる「ボーカリスト」ではないので、ウタを書くこと、ウタを語ること…がライブであり、そういう表現にしかならないのかも…と思います…「ウタ」がすべてをまぁるく、包んでる表現のような…
なんだか、分かりにくいでしょうか…
Posted by reeka at 2006年11月04日 03:25
>ぶる★さん
ステキなリンク貼って下さって有り難うございます。癒されました…
何回もreprayしてしまいましたよ…笑
歩き続けて、時には立ち止まる…立ち止まっても、全然、大丈夫なんですよね〜、誰かが、見てるんですね。待ってるんです。そして、また歩き出すんですよね〜
人生なんて、そんな事の繰り返し。そうだと思います。元気でました〜!!
ステキなリンク貼って下さって有り難うございます。癒されました…
何回もreprayしてしまいましたよ…笑
歩き続けて、時には立ち止まる…立ち止まっても、全然、大丈夫なんですよね〜、誰かが、見てるんですね。待ってるんです。そして、また歩き出すんですよね〜
人生なんて、そんな事の繰り返し。そうだと思います。元気でました〜!!
Posted by reeka at 2006年11月04日 03:45
どうもありがとう!レスポンズと訪問。
さて、「まぁるく、包んでる」はとってもよく分かります。
例えば、こんな感じはどうでしょうか?
部屋のドアを開ける。
すると聴きなれない「音」がする。
「音」ではその正体がそれとは分からない。
ちょっと、恐ろしい。
そぞろ、そぞろ歩を取る。
視界によぎるものが、
スズメだ!
入り込んだであろう小窓では出られそうもない。
小鳥は恐怖している。
そっと窓を開け、「さー、さー」と、声をあげたかどうか。
スズメは、ゆっくり、ゆっくり羽ばたき、
一気に青い空に「包まれる」
スズメの去った部屋で
佇む ぼく
ここは宇宙だ
鳥かごとなった部屋は
空にのみこまれ
大気の子宮に
息づく
「ウタ」には意味の手垢から逃れ
むしろ、意味を生み出す
そういう「力の場」みたいなもので、
それはちょうど
・・・・・・・・・・
としか表記できないよなものなのですものね!
感じる、それしかない!
けど、それを敢えて
思考の対象としてしまうと
なにやら 難解な感じになってしまうんですね
さて、「まぁるく、包んでる」はとってもよく分かります。
例えば、こんな感じはどうでしょうか?
部屋のドアを開ける。
すると聴きなれない「音」がする。
「音」ではその正体がそれとは分からない。
ちょっと、恐ろしい。
そぞろ、そぞろ歩を取る。
視界によぎるものが、
スズメだ!
入り込んだであろう小窓では出られそうもない。
小鳥は恐怖している。
そっと窓を開け、「さー、さー」と、声をあげたかどうか。
スズメは、ゆっくり、ゆっくり羽ばたき、
一気に青い空に「包まれる」
スズメの去った部屋で
佇む ぼく
ここは宇宙だ
鳥かごとなった部屋は
空にのみこまれ
大気の子宮に
息づく
「ウタ」には意味の手垢から逃れ
むしろ、意味を生み出す
そういう「力の場」みたいなもので、
それはちょうど
・・・・・・・・・・
としか表記できないよなものなのですものね!
感じる、それしかない!
けど、それを敢えて
思考の対象としてしまうと
なにやら 難解な感じになってしまうんですね
Posted by toroom at 2006年11月04日 19:43
>toroomさん
たくさんのコメント有り難うございます。
文字と言葉には、大きな違いがある…と思っています…しかも、短い単語だけとなると。だから、例えばライブで自分の作ったウタを「うたう」のと、こんなふうに文字にして書くのでは、まったく違う姿勢でいる気がします。
でも、だからこそ「包まれる」のように、いろんな想像をさせてくれるような言葉、文字は面白いですよね。
その意味をハッキリさせる必要が無いこともあるし、敢えて曖昧にいておきたい時もあるし…
感じる…ことが出来るのは、それのおかげなんだろうと思いますし…
たくさんのコメント有り難うございます。
文字と言葉には、大きな違いがある…と思っています…しかも、短い単語だけとなると。だから、例えばライブで自分の作ったウタを「うたう」のと、こんなふうに文字にして書くのでは、まったく違う姿勢でいる気がします。
でも、だからこそ「包まれる」のように、いろんな想像をさせてくれるような言葉、文字は面白いですよね。
その意味をハッキリさせる必要が無いこともあるし、敢えて曖昧にいておきたい時もあるし…
感じる…ことが出来るのは、それのおかげなんだろうと思いますし…
Posted by reeka at 2006年11月05日 03:04
こんばなわ。
早速ですが、
書かれた「言葉」と話される「言葉」では
同じ「言葉」でも位相が違う。
この位相の違い、というか、この違いを位相ともいうのですが、
これがとっても大切だと思います。
だから、「自分の作ったウタを「うたう」のと、こんなふうに文字にして書くのでは、まったく違う姿勢でいる気がします」という認識には共感を覚えます。
早速ですが、
書かれた「言葉」と話される「言葉」では
同じ「言葉」でも位相が違う。
この位相の違い、というか、この違いを位相ともいうのですが、
これがとっても大切だと思います。
だから、「自分の作ったウタを「うたう」のと、こんなふうに文字にして書くのでは、まったく違う姿勢でいる気がします」という認識には共感を覚えます。
Posted by toroom at 2006年11月05日 20:44
>toroomさん
共感していただけると、なんだか安心感がありますね。
でも、ほとんど感覚でしかない事ばかりです…よ。笑
共感していただけると、なんだか安心感がありますね。
でも、ほとんど感覚でしかない事ばかりです…よ。笑
Posted by reeka at 2006年11月05日 23:13
いいえ、これは立派な認識ですよ!(笑
『自分の作ったウタを「うたう」』というのは外にあったものを内面化して出す。
一方、『こんなふうに文字にして書く』というのは文字という物質性があり、その物質に働きかける。この二つの「あいだ」が包むだったり、亀裂だったりで、ここに感性が働くのだと思うので、やっぱり、共感します。こういう理屈は最近流行らないようで、ちょっと理屈が孤立して気の毒なので、僕のほうは少し理屈を擁護してみました。
『自分の作ったウタを「うたう」』というのは外にあったものを内面化して出す。
一方、『こんなふうに文字にして書く』というのは文字という物質性があり、その物質に働きかける。この二つの「あいだ」が包むだったり、亀裂だったりで、ここに感性が働くのだと思うので、やっぱり、共感します。こういう理屈は最近流行らないようで、ちょっと理屈が孤立して気の毒なので、僕のほうは少し理屈を擁護してみました。
Posted by toroom at 2006年11月06日 01:42
>toroomさん
はは。なんだか討論会みたいになってますね…
感性が働く…っていうのは、やっぱり何かコダワリとかを持っていると、より幅広く働いたりするのかな。
toroomさんのように、物事を深く考える方の感性は、いろんな場面で刺激されて働きまくるんでしょうね〜。そんな感じがします。
はは。なんだか討論会みたいになってますね…
感性が働く…っていうのは、やっぱり何かコダワリとかを持っていると、より幅広く働いたりするのかな。
toroomさんのように、物事を深く考える方の感性は、いろんな場面で刺激されて働きまくるんでしょうね〜。そんな感じがします。
Posted by reeka at 2006年11月06日 22:25
こんばんは、
ホントだね!討論会みたい(笑
それにしても、reekaさんの指摘は的確だね!
どうもありがとう
また遊びに来たり、行ったりするね!
ホントだね!討論会みたい(笑
それにしても、reekaさんの指摘は的確だね!
どうもありがとう
また遊びに来たり、行ったりするね!
Posted by toroom at 2006年11月07日 00:48
>toroomさん
指摘が的確…ですか〜
そうなんですかね〜 もしかすると、感性が近いのかも…と思ったり、して…
はい。また遊びにいらして下さいね!
指摘が的確…ですか〜
そうなんですかね〜 もしかすると、感性が近いのかも…と思ったり、して…
はい。また遊びにいらして下さいね!
Posted by reeka at 2006年11月07日 22:26
こんばんわ
「感性が近いのかも」そうかな?(笑
そうだといい、ね!
で、今日書いてた詩を読んで思ったのは、
「君」」でななく「あなた」にしたら、
どんな変化があるかしら?
「感性が近いのかも」そうかな?(笑
そうだといい、ね!
で、今日書いてた詩を読んで思ったのは、
「君」」でななく「あなた」にしたら、
どんな変化があるかしら?
Posted by toroom at 2006年11月08日 04:59
>toroomさん
「たらば蟹の雲」という曲の詩についてですね…
「君」じゃなくて「あなた」ですか…
どういう角度で、読んで下さったのか分かりませんが…
相手をどういう風に呼ぶか…でその関係とか相手に対する気持ちとかが現れますよね。
でもそれは、人それぞれ感じる基準が違うと思うので…どうなんでしょうね〜
ただ、コレはいわゆる「詩」ではなく、ウタとしての歌詞ですからね…いろんな事が干渉し合ってますので、「詩」として書き方とも違う…んですよね〜(笑)
「たらば蟹の雲」という曲の詩についてですね…
「君」じゃなくて「あなた」ですか…
どういう角度で、読んで下さったのか分かりませんが…
相手をどういう風に呼ぶか…でその関係とか相手に対する気持ちとかが現れますよね。
でもそれは、人それぞれ感じる基準が違うと思うので…どうなんでしょうね〜
ただ、コレはいわゆる「詩」ではなく、ウタとしての歌詞ですからね…いろんな事が干渉し合ってますので、「詩」として書き方とも違う…んですよね〜(笑)
Posted by reeka at 2006年11月08日 22:13
こんばんわ
そうだったね!「詩」ではなく「ウタ」だったね(笑
余談だけど、ビム・ベンダース監督「ベルリン天使の詩」は「ウタ」だったから・・・
でね、「相手をどういう風に呼ぶか…でその関係とか相手に対する気持ちとかが現れますよね」の「関係」といい、「いろんな事が干渉し合ってます」の「干渉」がぼくにはとっても大事なことだと思える。それでね、その「関係」や「干渉」といったとき、「ウタ」を「ウタ」それ自体に関係させ、「ウタ」それ自身に干渉させるにはどうすればいいのか?そういう問いの立て方が、われわれの生きる時代の要請になっている。
それと、相手をどう呼ぶか?「その関係とか相手に対する気持ちとかが現れますよね」といったときの「相手」とは誰なんだろうか?とっても重要な点だと思うので、ちょっとくどいけど・・・・誰なんだろう?
そうだったね!「詩」ではなく「ウタ」だったね(笑
余談だけど、ビム・ベンダース監督「ベルリン天使の詩」は「ウタ」だったから・・・
でね、「相手をどういう風に呼ぶか…でその関係とか相手に対する気持ちとかが現れますよね」の「関係」といい、「いろんな事が干渉し合ってます」の「干渉」がぼくにはとっても大事なことだと思える。それでね、その「関係」や「干渉」といったとき、「ウタ」を「ウタ」それ自体に関係させ、「ウタ」それ自身に干渉させるにはどうすればいいのか?そういう問いの立て方が、われわれの生きる時代の要請になっている。
それと、相手をどう呼ぶか?「その関係とか相手に対する気持ちとかが現れますよね」といったときの「相手」とは誰なんだろうか?とっても重要な点だと思うので、ちょっとくどいけど・・・・誰なんだろう?
Posted by toroom at 2006年11月09日 00:29
>toroomさん
はは。そろそろ降参の時期がやって来たみたいです…
なんだか、わけが分からなくなって来てしまいました…笑
ただ一つ言えることは、私にとって、花を生けたり、写真を撮ったり、文章を書いたり、ウタを作ったりする事においては「理屈」よりも「感覚」が優先されている…ということに尽きると思うのです。
答えになってなくて、スミマセン…
はは。そろそろ降参の時期がやって来たみたいです…
なんだか、わけが分からなくなって来てしまいました…笑
ただ一つ言えることは、私にとって、花を生けたり、写真を撮ったり、文章を書いたり、ウタを作ったりする事においては「理屈」よりも「感覚」が優先されている…ということに尽きると思うのです。
答えになってなくて、スミマセン…
Posted by reeka at 2006年11月09日 01:15
わけが分からなくなって来てしまいました…笑"
こんにちわ、かな?東京はもう暗くなってます。
それで、いい。わけが分からなくなってもらえればそれでいい。
ちょと慣れないとヘンだけど、きっと、それでいい、ばずだよ。
分からないから、問う、それがとっても人生を充実させてくれるはず、でね!
例えば、学ぶということを考えた時に
教師あり学習と
教師なし学習の二つがある。
認知科学とか最近では脳科学なんかも
それに興味を持っていると聞きます。
で、教師あり学習というのは、問いがあって答えがある。
だから、教えることができる。
一方で、教師なし学習にはそれはない。
だから、教えることができない。
けど、それが重要だということがかたられてもいるんです。
で、それはどうゆうことかといえばね、きっと、
自分で問いを発することが、敢えていえば、
問うことそのことが目的/目標になるということ、かな。
普通には問いあれば答えがある。
けど、教師なし学習では、
問うことが、答えになっている。
とすると、答えとしての問いは、
誰に対する「答えとしての問い」なのか、
何にたいする「「答えとしての問い」なのか、
と、絶え間ない問いの増殖・誕生に日々ぼくらは立ち会うことになる。
それが生活ではなく、人生だ!人生は旅なのだから・・
そんな感じになってくる。
嘘月とは、よく考えられた言葉だと
感心してます。
太陽の光を受けて反射する月は、
いわば、鏡。
鏡に写る像を自分だと思い込まなければ
ぼくは生きられない。
けど、それは像(イメージ)で、しかも、左右が反転している。
だから、嘘月!だけど、
自分の顔を直接見たり、自分の眼を、自分の眼でそれと直接確認できない。
ここに限界(分からない)があり、同時に、それが可能性をも生み出している。
人類は「鏡」を発明しちゃったんだから!すごい!
嘘を必要としている現実をウソといってきりすてることはできない!
これで、冒頭の
「それで、いい。わけが分からなくなってもらえればそれでいい」
が誤解なく伝わればいいな~、ホント!
こんにちわ、かな?東京はもう暗くなってます。
それで、いい。わけが分からなくなってもらえればそれでいい。
ちょと慣れないとヘンだけど、きっと、それでいい、ばずだよ。
分からないから、問う、それがとっても人生を充実させてくれるはず、でね!
例えば、学ぶということを考えた時に
教師あり学習と
教師なし学習の二つがある。
認知科学とか最近では脳科学なんかも
それに興味を持っていると聞きます。
で、教師あり学習というのは、問いがあって答えがある。
だから、教えることができる。
一方で、教師なし学習にはそれはない。
だから、教えることができない。
けど、それが重要だということがかたられてもいるんです。
で、それはどうゆうことかといえばね、きっと、
自分で問いを発することが、敢えていえば、
問うことそのことが目的/目標になるということ、かな。
普通には問いあれば答えがある。
けど、教師なし学習では、
問うことが、答えになっている。
とすると、答えとしての問いは、
誰に対する「答えとしての問い」なのか、
何にたいする「「答えとしての問い」なのか、
と、絶え間ない問いの増殖・誕生に日々ぼくらは立ち会うことになる。
それが生活ではなく、人生だ!人生は旅なのだから・・
そんな感じになってくる。
嘘月とは、よく考えられた言葉だと
感心してます。
太陽の光を受けて反射する月は、
いわば、鏡。
鏡に写る像を自分だと思い込まなければ
ぼくは生きられない。
けど、それは像(イメージ)で、しかも、左右が反転している。
だから、嘘月!だけど、
自分の顔を直接見たり、自分の眼を、自分の眼でそれと直接確認できない。
ここに限界(分からない)があり、同時に、それが可能性をも生み出している。
人類は「鏡」を発明しちゃったんだから!すごい!
嘘を必要としている現実をウソといってきりすてることはできない!
これで、冒頭の
「それで、いい。わけが分からなくなってもらえればそれでいい」
が誤解なく伝わればいいな~、ホント!
Posted by toroom at 2006年11月09日 17:35
>toroomさん
ははは。これまた今日は一番長いですね…
一応、頑張って読んでみました…
分かるんですよ。こう、問うことの必要性とか…いろいろ。
でもやはり、綿密な計算があったとしても、敢えて口に出す事をしない世界、つまり…あらゆる想像の可能性を作り上げたい世界…っていうのが「詩」の世界だったり、「ウタ」の世界だったり、「絵」の世界、「写真」の世界、全ての芸術と呼ばれる世界なんだと思うのは私だけでしょうか。(作る側においてですけど…)
それを、理論的に分析するのはまた別の方向性なのかな…と。
つまり、私は、前者を好む方でありますのですよ〜
それゆえ、制作活動に関しては特に感覚に任せるのです…それが自然で愛おしいものになるのです…
ははは。これまた今日は一番長いですね…
一応、頑張って読んでみました…
分かるんですよ。こう、問うことの必要性とか…いろいろ。
でもやはり、綿密な計算があったとしても、敢えて口に出す事をしない世界、つまり…あらゆる想像の可能性を作り上げたい世界…っていうのが「詩」の世界だったり、「ウタ」の世界だったり、「絵」の世界、「写真」の世界、全ての芸術と呼ばれる世界なんだと思うのは私だけでしょうか。(作る側においてですけど…)
それを、理論的に分析するのはまた別の方向性なのかな…と。
つまり、私は、前者を好む方でありますのですよ〜
それゆえ、制作活動に関しては特に感覚に任せるのです…それが自然で愛おしいものになるのです…
Posted by reeka at 2006年11月09日 21:55
こんばんわ
今は自宅ですので、比較リラックスしています。
ここでいわれていることは了解はできる。
けど、論理と感性という分け方自体を攻めることが
いわば、世界を相手にした時には、もう、ほぼ、共通事項になっている。
つまり、論理的になるには感性的になる以上に感性が必要だし、
逆に、感性的になるには論理的になる以上に論理を駆使できなければ勝負にならない。
日々、そういうことを仕事としていると、
例えば、日本語と呼ばれる言語を共有できる人だけの、
いわば内向きの、外部=他者を排除したところだけで成立する
ものは、ほぼ、国内にあっても通用しなくなっている。
上記にあるものに建築を加えれば、これはファイン・アートと呼ばれるもので、これは19世紀的な発想の世界で対処可能なのものです。
20世紀半ば以降は数学と物理それ自体が「アート」になってしまう、
現に、このPCも数学です。ゼロを数として数える、ないものをないものとして数える。そういう世界観から生まれてきたのもで、その世界観は感性的である以上、感性は「芸術」の特権ではなくなっている。それは、世界の長者、例えば、ビル・ゲイツのような、世界にもっともインパクトを与えている人は、皆、数学及び物理の世界の人。けど、誰も彼らを数学者といったり物理学者とは言わない程度には「アート」」は数学・物理に溶け込んでいる。つまり、数の概念を感性的に捉えるのではなく、数を数える行為をともなうものとして、パフォーマティブ・アートが同時進行的にでてきてもいる。ぼくのブログにあるNam june Paik なんかもそうです。
勿論、自分の信じるところを貫通した確信にもとづいて活動するのが一番です。だから、ここで競ったり争ったりすることは本意ではないので、これ以上は差し控えなければなりませんね。
それでは、活躍を期待しております。
今は自宅ですので、比較リラックスしています。
ここでいわれていることは了解はできる。
けど、論理と感性という分け方自体を攻めることが
いわば、世界を相手にした時には、もう、ほぼ、共通事項になっている。
つまり、論理的になるには感性的になる以上に感性が必要だし、
逆に、感性的になるには論理的になる以上に論理を駆使できなければ勝負にならない。
日々、そういうことを仕事としていると、
例えば、日本語と呼ばれる言語を共有できる人だけの、
いわば内向きの、外部=他者を排除したところだけで成立する
ものは、ほぼ、国内にあっても通用しなくなっている。
上記にあるものに建築を加えれば、これはファイン・アートと呼ばれるもので、これは19世紀的な発想の世界で対処可能なのものです。
20世紀半ば以降は数学と物理それ自体が「アート」になってしまう、
現に、このPCも数学です。ゼロを数として数える、ないものをないものとして数える。そういう世界観から生まれてきたのもで、その世界観は感性的である以上、感性は「芸術」の特権ではなくなっている。それは、世界の長者、例えば、ビル・ゲイツのような、世界にもっともインパクトを与えている人は、皆、数学及び物理の世界の人。けど、誰も彼らを数学者といったり物理学者とは言わない程度には「アート」」は数学・物理に溶け込んでいる。つまり、数の概念を感性的に捉えるのではなく、数を数える行為をともなうものとして、パフォーマティブ・アートが同時進行的にでてきてもいる。ぼくのブログにあるNam june Paik なんかもそうです。
勿論、自分の信じるところを貫通した確信にもとづいて活動するのが一番です。だから、ここで競ったり争ったりすることは本意ではないので、これ以上は差し控えなければなりませんね。
それでは、活躍を期待しております。
Posted by toroom at 2006年11月10日 01:39
>toroomさん
「日々、そういうことを仕事としている」んですか〜
おっしゃりたい事は、わかります。全然、否定もしませんよ〜
このblog上で私がやらん…としている事に対しての姿勢が違うんだと思います(もちろん、実生活では感性で生きてるわけではありませんので…まじめに理論的に考える努力はしてますよ〜笑)
それより、どうして、このblogにこんなにコメント下さるのかが、毎日、不思議でならなかったんですよね…
ある意味、私にとっては刺激的でしたよ。
有り難うございました!
「日々、そういうことを仕事としている」んですか〜
おっしゃりたい事は、わかります。全然、否定もしませんよ〜
このblog上で私がやらん…としている事に対しての姿勢が違うんだと思います(もちろん、実生活では感性で生きてるわけではありませんので…まじめに理論的に考える努力はしてますよ〜笑)
それより、どうして、このblogにこんなにコメント下さるのかが、毎日、不思議でならなかったんですよね…
ある意味、私にとっては刺激的でしたよ。
有り難うございました!
Posted by reeka at 2006年11月10日 02:06
こんばんわ
おそらく、あなたが他の方と対話していることにささやかかもしれないけど
感動したからだと思う。自分が納得できるまで、こういう言い方が適切なのかは別として、食い下がっていく感じがとっても良かったからだと思う。けど、これは明らかに老婆心だけども、やはり、相手を選んだ方がいい。人生は無際限にあるのではなく有限なものです。
とはいえ、あなたのもとに寄せられるコメントをみて、もしぼくのところに同じコメントが来たなら、間違えなくイライラさせられて、罵倒しまくっているであろうものにも、しなやかに、ヤンワリ応じているのを見て、これはぼくにはできない、偉いことだ!、そう感心させられたり、やはり、ぼくの方も刺激されていたのだと思います。
これから仕事です。東京はここのところめっきり寒くなってきました。とはいえ、もう11月だというのにゴキブリを何度となく見たりしてるので、やっぱり、気候は明らかに変化しれいると思う。気候のような巨大な世界を、人の一生のあいだに、その変化をそれれと確認できてしまえることが、そもそも、異常なことだと最近、気付きました。人の一生など、気候のそれに比べれば極小さなものですものね!
おそらく、あなたが他の方と対話していることにささやかかもしれないけど
感動したからだと思う。自分が納得できるまで、こういう言い方が適切なのかは別として、食い下がっていく感じがとっても良かったからだと思う。けど、これは明らかに老婆心だけども、やはり、相手を選んだ方がいい。人生は無際限にあるのではなく有限なものです。
とはいえ、あなたのもとに寄せられるコメントをみて、もしぼくのところに同じコメントが来たなら、間違えなくイライラさせられて、罵倒しまくっているであろうものにも、しなやかに、ヤンワリ応じているのを見て、これはぼくにはできない、偉いことだ!、そう感心させられたり、やはり、ぼくの方も刺激されていたのだと思います。
これから仕事です。東京はここのところめっきり寒くなってきました。とはいえ、もう11月だというのにゴキブリを何度となく見たりしてるので、やっぱり、気候は明らかに変化しれいると思う。気候のような巨大な世界を、人の一生のあいだに、その変化をそれれと確認できてしまえることが、そもそも、異常なことだと最近、気付きました。人の一生など、気候のそれに比べれば極小さなものですものね!
Posted by toroom at 2006年11月13日 04:34
>toroomさん
こんばんわ。
東京はもう冬みたいなんでしょうね…こちらはまだ、昼間は暖かくて穏やかな天気ですよ。
…う〜ん。このblogに寄せられるコメントは、ほぼ知り合いの方ですし…
特にイライラすることは無いんですよ…
沖縄の海のように、おだやかに生きていきたい…(このblogの精神です…笑)そんな感じでやってるからですかね〜
こんばんわ。
東京はもう冬みたいなんでしょうね…こちらはまだ、昼間は暖かくて穏やかな天気ですよ。
…う〜ん。このblogに寄せられるコメントは、ほぼ知り合いの方ですし…
特にイライラすることは無いんですよ…
沖縄の海のように、おだやかに生きていきたい…(このblogの精神です…笑)そんな感じでやってるからですかね〜
Posted by reeka at 2006年11月13日 23:21
こんばんは
おだやかに生きていきたい、それはいいですね。
「ほぼ知り合いの方ですし…
特にイライラすることは無いんですよ」
それが素晴らしいというか、仕事を通じた知人とかだと
そんなもんか!で済むのだけど
それが友人とかになると、困まってしまう。
そもそも知人・友人がコメントすることに納得がいかないとうか。
書き込みしてもいいけど、しなくてもいい。
「沖縄の海のように」という比喩が、すぐ傍にある。
だから、その比喩の説明を求めれることがない。
それがやっぱり「おだやか」でいられる一つの特権かな。
「東京の海のように」といってみたところで、
喚起されるものがない。だから、それでと説明を求めれれる。
その説明が退屈なら、それでおしまい!
殺伐としているんだな!
天気予報、
冬だと沖縄をみる。
夏だと北海道をみる。
ここは東京だと。
夏は冷房が効きすぎて寒い。
冬は暖房で暑く、
部屋の空気は乾燥している。
突然ですが、沖縄の音楽は
バリ島と同じだね!
おだやかに生きていきたい、それはいいですね。
「ほぼ知り合いの方ですし…
特にイライラすることは無いんですよ」
それが素晴らしいというか、仕事を通じた知人とかだと
そんなもんか!で済むのだけど
それが友人とかになると、困まってしまう。
そもそも知人・友人がコメントすることに納得がいかないとうか。
書き込みしてもいいけど、しなくてもいい。
「沖縄の海のように」という比喩が、すぐ傍にある。
だから、その比喩の説明を求めれることがない。
それがやっぱり「おだやか」でいられる一つの特権かな。
「東京の海のように」といってみたところで、
喚起されるものがない。だから、それでと説明を求めれれる。
その説明が退屈なら、それでおしまい!
殺伐としているんだな!
天気予報、
冬だと沖縄をみる。
夏だと北海道をみる。
ここは東京だと。
夏は冷房が効きすぎて寒い。
冬は暖房で暑く、
部屋の空気は乾燥している。
突然ですが、沖縄の音楽は
バリ島と同じだね!
Posted by toroom at 2006年11月16日 21:22